慶応義塾高校の応援に関してお気持ち表明

 昨日、夏の全国高校野球選手権大会の決勝戦が行われ、慶應義塾仙台育英を8対2で破り、1世紀の年月を経て優勝しました。その際の慶応側の応援がすさまじく、度を超えているなどと物議をかもしています。この点について、元高校球児の立場から考察しましたので以下、お気持ち表明させていただきます。

 

そもそも、慶應の応援団は何も悪いことをしていない

 まず確認しなければいけないのは慶応側の応援団は何もルール違反を犯していないという点です。ですので以下の議論はルールではなく道義、道徳的に慶応の応援の是非を考えるものになります。

 

慶應の応援に異議を唱える人がたぶん心の中で思っているであろうこと

 先に述べたように慶應の応援は全くもってルールに反しているなどの不正なものではありません。それにもかかわらずここまでの物議を醸すのは高校野球があくまで興行化を予定していない高校生によるアマチュアスポーツであるからではないでしょうか。例えばサッカーワールドカップWBC等のプロスポーツかつ大々的に興行として打ち出されている大会であのように一方的に大声援が送られたとしても物議を醸すような事態にはならないはずです。これらの規模の大会でなくても例えばプロ野球ペナントレースであっても同様でしょう。

 興行化が予定されているということはファンにも一定の地位が保障されることを意味します。繰り返しプロ野球での例えとなってしまい申し訳ありませんが、プロ野球では観客を楽しませることを目的としたイベント等が催されるように、観客もその場所の担い手として組み込まれており、その分アマチュアと比してチケット代が高かったりするのだろうと思います(甲子園では少しチケット代が高いようですが地方大会ではワンコイン500円で4試合見られたりしますね。)。

 では、高校野球はどうでしょうか。勝利チームのヒーローインタビューなどの観客向けのイベントはありませんね(もっとも、優勝監督インタビューなど例外はありますが)。これが、冒頭に述べた、興行化の予定されないアマチュアスポーツである、ということとつながります。つまり、高校野球は観客のためではなく、あくまで「ここで試合やってるけど、別に見に来てもかまわないよ」というスタンスで観客が受け入れられていることになります。客のためにやっているわけではない、ということですね。そうだとすれば、観客が過度にプレーに干渉したりするのは厳に慎むべきで、あくまでアルプススタンド以外の観客は第三者視点で高校生のプレーを見守るべき立場にある、という考えが成り立つことになるでしょう。

 

応援がプレーに与えた影響

 ですが、応援と試合への影響の関係については慎重な考察を要するでしょう。おそらく一番問題となっているプレーは5回表の慶應の攻撃で2アウト2.3塁の場面でセンター橋本君とレフト鈴木君が交錯し、3アウトチェンジのはずが2失点してしまったプレーでしょう。

 私は高校から大学にかけて外野手を務めていたことから、ある程度あの場面での野手の気持ちを分かっているつもりです。以下簡単に述べます。

 まず、平常時であればあのような交錯はまずなかったのではないか、ということがいえると思います。あの打球は野手の間に飛んだとはいえ、捕球にはかなり余裕があったように思います。普段の橋本君であれば、しっかり打球から目を切ってレフトの鈴木君が落下点に入って捕球態勢をとっていることを認識し、鈴木君に譲って自らはカバーに入る、といったプレーができたのではないでしょうか。橋本君は昨年の仙台育英の優勝時にも主力として活躍した言わずと知れたハイレベルなプレーヤーですし、実際に昨日の試合でファインプレーもありましたし、慶應の加藤君のフェンス直撃の大飛球が飛来したときも打球から目を切ってフェンスとの距離を確認しながら最短距離で打球を追っていました。

 しかし、実際に応援が橋本君を狂わせたといえるかは不明といわざるを得ません。橋本君は試合後、応援の声でレフトとの声かけが聞こえなかった旨を述べているようですが、それは相手が慶應ではなくても決勝戦の声援となれば想定できたことです。また、先に述べたように声掛けをしなくても目を切ってレフトとの連携をとることができたでしょう。応援に圧倒されて普段のプレーができなかったともいえるかもしれませんが、以前から「甲子園には魔物がいる」と言われているように甲子園独特の緊張感が影響したと考えることもできるでしょう。あの時は仙台育英からすれば流れも悪かったですし、普段は極めて冷静に見える橋本君にも焦りが見えていた気もします。

 つまり、応援との因果関係は不明といわざるを得ないでしょう。ですから、「応援のせいで育英が負けた!」などの議論は筋違いであることは否めませんし、そのようなことを考えるだけならまだしも声高に主張することは慶應仙台育英双方に大変失礼なことと言わざるを得ません。

では、結局あの応援は是なのか非なのか

 私としては、慶應の応援を非難する人の気持ちもわからないではありません。少なからず慶應関係者のエゴのようなものも感じましたし、先に述べたようなアマチュアスポーツの性質からすると応援が場を支配するということは不適切である、といるような気もします。あの声援がまさに「魔物」となっていたともいえるかもしれません。

 ですが、最初に述べたように応援はルール違反でも何でもありません。禁止行為ではない以上応援した人は責められるべきではありませんし、応援が仙台育英ナインにとってマイナスに働いた、という前提そのものが間違っている可能性すらあります(あんなに応援されている相手だからこそ、逆に反骨心のようなものが作用するかも。こればかりは甲子園など程遠かった私如きの想像は到底及ばないので何とも言えませんが)。

 元も子もないことを言うようですがこの問題はこれからのルール整備に委ねるべきでしょう。アマチュアスポーツである以上部外者のエゴは排除すべきという考えには一理ありますが、ルールとして整備されていない以上そのような考えをもって応援した人を非難することはできません。もし私が慶應関係者であったならおそらく応援に行っていたと思いますし…。ですから、今後はアルプススタンド以外は応援団と同調した応援は禁止する、とかそういったルール整備につなげていくことで、そこを落としどころとするほかないと思います。

 以上、お気持ち表明でした

 

慶應の団結力について

 以下は以上の議論とは関係なく慶應の団結力に恐れ入った話をしようと思います。

 慶應は、みなさんご存じのように三田会という卒業生の組織があるようで、その団結は目を見張るものがあるといいます。これは部外者としてはうらやましいと言わざるを得ないでしょう。慶應という政財界で一定の力を有する人たちの集団となれば誰もがその恩恵にあずかりたいと考えるでしょう。でも、不思議なことに早稲田ではそのような話は聞きません。同じくらいの規模で歴史もあって、学力的にも近いのに、なぜこんなに違うのでしょうか…

 また、ただの付属校の応援にこんなにも大学のOBOGが駆けつけるなんて、という点にも驚愕しました。あのスタンドを埋め尽くす慶應関係者は慶應義塾高校の卒業生だけではなく大学から入った者も相当数含まれていることは明白でしょう。早慶戦慶早戦)は盛り上がると聞きますが、早稲田実業が優勝した際に早稲田OBはあんなに駆けつけたんでしょうか…。

 さらに、日大は日本一学生数の多い、転じて卒業生も多い大学ですが、日大の付属校が甲子園に出たとしてもあのような盛り上がりはまずありませんよね。日大三高が優勝したことは記憶に新しいですがあんな応援では決してありませんでした。

 

 まあ、私としては慶応生を敵に回すと三田会総出でボコされるだろうから、慶應の卒業生を敵に回すことのないようにしよう、という教訓を得られたのでよしとします。

 

 ともかく、慶應義塾高校仙台育英高校のメンバーや関係者の皆さん本当にお疲れさまでした。そして、優勝、準優勝おめでとうございます!